今日はマジメな教育論を一つ。
みなさん必要条件と十分条件という言葉をご存知でしょうか。
この言葉、高校数学の数学Aという分野に含まれている、高校生があまり好きでない単元の一つです。
まず、このお話をする前に、命題という言葉を説明しなければなりません。命題というのは、正しいか正しくないか判断できる議論のことを言います。
一般的に数学の世界では、何をあてはめても成り立つ場合、それを真、つまり正しいといい、何か一つでも当てはまらないことがあれば、それを偽、つまり正しくないといいます。
ここにAならばBという命題が存在していたとします。
この命題の真偽を考えた場合、例えば、Aという条件を満たすならばBはすべて成り立つということ、つまり真としておきます。また、Bという条件に対してAはいつでも成り立つものもあるがいつでも成り立っているというわけではないとき、この場合AはBに対する「十分条件」といい、BはAに対する「必要条件」といいます。
十分条件Aを満たす内容であればいつでもBが成り立ちますが、必要条件Bを満たす内容であったとしても、Aが成り立つとは限りません。
また、Aという条件を満たすならばBはすべて成り立つという前提で、Bという条件のもとAをいつも満たしているのであれば、AはBの必要十分条件といいます。
少し、文章が長くなってきたので、図で説明を。
まあこんな感じですね。
これを受験というものに置き換えて考えてみましょう。
例えば、参考書を選ぶとき、「東大生が選んだ東大に受かる参考書」なるものがあったとします。
この参考書を買おうか買わまいか迷ったとして、この参考書をやるならば東大に受かるという命題を作ったとします。この場合、参考書をやる=A 東大に受かる=Bとします。
作っている側は、東大に受かった人たちが選んだものをピックアップしているだけですが、実際に東大に受かった人しかいないわけですから、BならばAが成り立っているものとしましょう。では東大に受かるならば、この参考書をやるという目線で考えるとどうでしょう。東大に受かっている生徒全員がこの参考書をやっていればそれは真となりますが、やはりそうではないので、偽となります。
つまり、参考書をやるということは必要条件であり、東大に受かるというのは十分条件となります。
なるほど、先ほど述べたように、十分条件を満たしていれば、必ず成立しますから、その条件はと・・・・、東大生であること。いやいや、まだ受かってないですから。参考書をやるということは必要条件に過ぎないのです。
といった具合に、実は買う側の目線に立ってみれば、必要条件であることばかりで、十分条件を満たすような参考書なんてこの世に存在しないのかもしれません。ましてや、必要十分条件になる参考書なんてもってのほか、見つかるわけもありません。
そんな参考書があるのならば、ぜひ教えていただきたいですね。
参考書は十分条件を満たさない限り、受験に合格するため一方法であり、その方法が万人に当てはまるというわけではありません。
これを突き詰めていけば、教育が方法論となってしまい、子供は考える力を失っていきます。
できれば、その方法というのは自分で発見し、オリジナリティーの持ったものであってほしいと願います。そのヒントをあげるのが、塾講師の役目であり、参考書の役目であってほしいと私は願います。と同時に、プラウダスが、合格のための必要十分条件となる塾になれるよう日々努力していきたいと思います。
みなさんも参考書を選ぶことがあったら、自分にとって必要条件なのか、十分条件なのか考えてみてくださいね。
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